ドーム兄弟 | エミールガレを語ろう。

ドーム兄弟

1900年のパリ万国博覧会で、スーパースターとなったガレ。

しかし、このときすでにガレの体は病魔に冒されていたのです。ガレは1904年に白血病で亡くなったのですが、この間はガレにとって営業的にも困難な時代でもあったのです。

1900年ごろからの、全国的なガラス器の売上不振と、外国製品の進出、それと何よりも強力な壁は地元ナンシーのドーム兄弟だったのです。

オーギュスト・ドームとアントナン・ドームの二人です。ドーム兄弟は、ガレと違いガラスに関する知識はあまり無く、彼らの父親が共同経営していたガラス工場を継いだに過ぎませんでした。当初は量産の日常ガラス器や食器を製作しており、その間に少しずつ研究して行き次第に経営は安定していきました。

その資金を元に次第に芸術作品を制作するようになり、彼らの作品は最終的にはガレの作品と並ぶ評価をされるようになりました。ドーム兄弟は、ガレの作り上げた革新的なガラス技術を模倣し、さらにオリジナルの技法を加えていったのです。

ガレはその革新的技法を作り上げるのに、何十年も掛かったのに対し、ドーム兄弟は模倣からですから数年で追いついてしまいました。革新より模倣は容易ですから仕方ありません。

ガレはこの時代、博覧会への芸術作品に全てを集中しており、一方、ドーム兄弟は量産品のガラス器で経済的基盤を頑固なものにしてからの出発でしたので、この時代の不況に負けることは無かったのです。ガレもその後、量産品の製造を再開しましたが、1904年帰らぬ人となりました。

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ドーム兄弟作(ななかまど)Daum≠Nancy