ナンシー派 | エミールガレを語ろう。

ナンシー派

アールヌーボーの中心地というと、勿論パリであるが、このパリと並ぶもう一つの中心地として、ナンシーがあり、ガレはその地で活躍をしていたのです。

 

ナンシーはパリのリヨン駅からスイス方面行の急行で3時間あまりで行けます。とくにこのナンシーで展開したアールヌーボーは『ナンシー派』と呼ばれ、ガレとならんで、ドーム兄弟などもこの地で活躍し日本でも彼らの作品は有名です。

 

ナンシー派は1901年の結成され「ナンシー派・美術産業地方同盟」という正式名称の団体でした。この同盟は2年後にパリにのりこみナンシー派はナンシーに本部を置く「東部フランスの美術産業団体」であり、その目的は、「ロレーヌ地方に芸術的手工芸の繁栄を及ぼそうとする」と宣言しました。

 

このナンシーでの作品はその当時、販売商品として大量生産されており一時期は数百人という従業員を抱える企業として発展しガレのそんな企業の責任者でありました。しかし、それでもこの当時の商品が今でも立派な芸術品として取り上げられていることは、このロレーヌ地域の技術の高さを物語っています。

 

1871年ごろからガレは、ガラス器に「ロレーヌ十字」と呼ばれる装飾をつけ、その後、ガレのイニシャル「E・G」と組み合わせて「ナンシーのエミール・ガレ」というサインとともに、商標として使用するようになりました。

 

 

サイン